二死満塁★結成以前〜夜明け前〜
1997年頃に、知念夏樹と今井友一が共通の知人を通じ知り合う。
お互いの第一印象はあまり良くなかったと後に語るが、当時、弾き語りスタイルでライブをしていた知念は、今井がギターで活動しているバンドにベースで参加する事となる。当時、今井はギタリストであったので、知念は今でも今井に対し「ベースは俺の方が先輩だからな。」と語るらしい。そのバンドでの活動に限界を感じた今井は知念と相談し、新しいバンドの結成を二人で進める。その後、知念はヴォーカル、今井はリードギターでバンドを結成。後に二死満塁のメンバーとなる中澤文宏はこの時、今井と同じバイト先であった為、ギタリストとしてこのバンドに参加。このバンドもライブを幾本かこなしたモノの、活動に疑問をもち今井が脱退を表明。知念と今井で作ったバンドであった為、知念も今井がいないのでは活動する意味もなく、解散する。知念は再び、ソロでの活動を始め、今井は新たなバンドの結成を準備する。今井はバンドを結成する為に、スタジオに入っていても、ヴォーカルが決まらなかった。そして、新バンドのヴォーカルに知念を誘う。知念ももう一度、バンドに賭けようと思い、今井とバンド結成の準備を始める。その時、ドラムで声を掛けたのが後の二死満塁のドラム竹下公久である。やはり竹下も今井のバイト人脈であり、知念に今井が紹介する形でスタジオに入った。その後、三人で渋谷の高級和食店である「やよい軒」に行き、バンドを結成する事を決めた。それがTHE TRASHと言うバンドで、知念ギターヴォーカル、今井ギター、ドラム竹下というベースレスの3ピースだった。現在、二死満塁のホームページでも使用しているパンクな写真は、実はこのTHE TRASH時代の物である為、皆、若い。活動が軌道に乗り始めた頃、今井が「俺、ベース弾きてぇ。」と朝の7時頃に突然、知念に連絡を寄越し、今井がベースとなる。

パンクバンドTHE TRASHの活動中、知念の父親の死があった。上記の写真のライブは知念の父親が最後に観た息子のステージ姿である。ライブ後、父親の感想は「もっと、ギターを練習しろ。」だった。
その後も活動を緩める事なく、自主企画ライブなども行っていた。後はレコーディングをして、ツアーだ、と意欲を燃やしていたが、その頃、竹下がバンドを脱退表明。活動の趣旨や考えの違いが原因だった。知念と今井でメンバー探しを続けた結果、『T』(本名非公開)と言う男がドラムで加入。竹下は脱退した。その時、ギターで中澤も加入し、4人体制となる。レコーディングをし、ツアーに出たのだが、ドラムのTと喧嘩になりツアーファイナルの当日にTはメンバー全員に暴力を振るい脱退。血まみれになりながら、そのライブを観に来るつもりでいた竹下に「とりあえず、今日は叩いてくれ!」と言い、竹下がヘルプで叩くと言う事態に。竹下以外のメンバーは血を流し、顔を腫らしライブと言うパンク過ぎる夜だった。知念は後に「あのライブが人生で一番、燃えたライブだった。今でもハッキリ覚えているし、いいライブだった。」と。その後、今井の怪我も大きく警察に被害届けを出し、Tとは絶縁となった。なし崩し的に竹下がドラムで復帰するような形になったが、知念はこの事件ライブで、ある種の達成感を得てしまった為、バンドを脱退する事を表明した。ヴォーカルが脱退となるので解散しようとなり、解散ライブを渋谷で行い、THE TRASHは解散した。時は、2001年冬だった。
二死満塁★結成バンド初期〜黎明の時〜
THE TRASH解散後、メンバーはそれぞれの道を歩きながら音楽を続けていた。知念は弾き語りでのライブを続けていた。決して、喧嘩別れした訳ではなかったので、今井が組んだバンドの企画に知念が出演したり、中澤が知念の弾き語りライブでサポートしたりと、交流を続けていた。ソロでの活動に物足りなさを感じた知念は、再びバンドでの活動を漠然と考えながら、歌っていた。ソロアルバムの制作に取り掛かった知念は、サポートで中澤と竹下に声を掛けレコーディング。このレコーディングを切欠に、バンド活動を本気で考える事となり、中澤、竹下と2004年1月に二死満塁を結成。べースに田中昌明を加え、4人体制となった。2004年4月に渋谷でライブを行い、精力的に活動を開始。
2005年には1stミニアルバム『通称 黒盤』を発売。渋谷サイクロンでレコ発を行った。
二死満塁1stミニアルバム『通称 黒盤』を購入。二死満塁★バンド中期〜破滅へ向かって〜
音源もリリースし、さあこれからだ!と意気込んだのも束の間、べースの田中が脱退となる。ライブも決まっていた為、一本だけキャンセルしその後は知念がベースヴォーカルとなる。この頃が二死満塁にとって試練の日々であり、苦しいバンド活動であった。

ライブも定期的にこなし、ラジオ、テレビ出演等、新たな活動を続ける中、周囲からは分からないバンド内での変化が起きていた。現状を打破する為に、やる事なす事、空回りと言う状況の中、今井友一が二死満塁への加入を申し出る。メンバーの総意で再び、この4人でバンドをやる事になった。時は2006年の暮れだった。音楽をやる楽しさを思い出し、今後の展望を考える中で知念の離婚やその他の事情が重なり2007年1月のライブを最後に無期限の活動休止となる。解散ではなく活動休止にしたのは、別に解散する必要がなかったから。
二死満塁★活動休止中〜休戦の時〜
二死満塁の活動休止中、知念は音楽活動全てを止めていた。
石川さゆりにハマり、音楽が演るモノから聴くモノへと変化を遂げていた。ギターも弾かず、曲を作ったりもしていなかった。
「いつかはまた」との思いもあったが、積極的に動かなかった。
二死満塁★活動再開〜悲しみの果て〜
2012年頃、facebookやyoutubeに二死満塁の動画をアップし始めた。そんな事もあり、メンバー間での連絡は取り合っていなかったが、SNSで互いの現状を知ると言う、別れた恋人みたいな関係で、久し振りに「集まるか?」となった。その時はただ、飲んだだけで解散したが、「時期が来たら、二死満塁をやろう。」と、前向きな話し合いがもたれた。その後も、スタジオに入る事もなく、一年が過ぎようとしていた時にyoutubeで二死満塁を知って頂いた方より、出演依頼のメールを頂く。活動休止中である事を理由に、一度は、お断りしたが、知念と今井が相談し、「何か切欠がないと、二死満塁の復活は有り得ない。」「いつやるの?」「明日でしょ!」とのやりとりがあり、復活を決定。その出演依頼を頂いたのが配信工房さんである。活動再開に向け、準備を進める中、ギターの中澤が脱退。新しいギターを探すが、「復活は俺達、三人の方がいいだろう。」「誰、弾くの?」「俺でしょ!」とのやりとりがあり知念、今井、竹下の三人で復活となる。
2014年2月23日に配信工房さんの「おんらぶ!」で復活ライブ。
2014年4月13日にはIB89さんのレコ発に参加し、ライブハウスでの復活も果たす。
復活後の新曲「僕らの時間」の通り、他人に併せず、自分達のペースで活動を続ける事を決め、現在に至る。








